量子チャネルの基礎#
数学的には、チャネルは、密度行列を別の密度行列へ写す線形写像であり、さらにいくつかの条件を満たすものです。 このレッスンでは、チャネルを表すために、大文字のギリシャ文字である \(\Phi\) や \(\Psi\) をはじめ、特定の場合には他の文字も用います。
すべてのチャネル \(\Phi\) は、入力系と出力系を持ちます。通常、このレッスンでは入力系を \(\mathsf{X}\)、出力系を \(\mathsf{Y}\) と表します。 チャネルの出力系が入力系と同じである場合もよくあります。そのような場合には、入力系と出力系の両方を同じ記号 \(\mathsf{X}\) で表します。
チャネルは線形写像である#
チャネルは、古典情報の標準的な定式化における確率的操作や、量子情報の簡略化された定式化におけるユニタリ操作と同様に、線形な写像によって記述されます。
チャネル \(\Phi\) が入力系 \(\mathsf{X}\) に作用し、その状態が密度行列 \(\rho\) によって表されているとします。このとき、チャネルの出力系の状態は密度行列 \(\Phi(\rho)\) によって表されます。 \(\Phi\) の出力系も \(\mathsf{X}\) である場合には、チャネルは単に \(\mathsf{X}\) の状態を \(\rho\) から \(\Phi(\rho)\) へ変化させるものと考えることができます。 一方、\(\Phi\) の出力系が \(\mathsf{X}\) ではなく別の系 \(\mathsf{Y}\) である場合には、\(\mathsf{Y}\) はチャネルを適用する過程で新たに生成された系であり、入力系 \(\mathsf{X}\) はチャネル適用後にはもはや利用できないものと理解すべきです。 つまり、チャネルそのものが \(\mathsf{X}\) を \(\mathsf{Y}\) に変換し、その結果として \(\mathsf{Y}\) が状態 \(\Phi(\rho)\) に置かれるかのように考えます。
チャネルが線形写像で記述されるという仮定は、公理、すなわち理論の基本的な仮定として捉えることができます。言い換えれば、これは証明されるものではなく、理論の出発点として採用されるものです。しかし、チャネルが密度行列の凸結合に対して線形に作用しなければならない理由は、確率論およびこれまで学んできた密度行列の性質との整合性から理解することができます。
より具体的には、チャネル \(\Phi\) を考え、そのチャネルを密度行列 \(\rho\) または \(\sigma\) で表される状態にある系へ適用するとします。\(\rho\) にチャネルを適用すると \(\Phi(\rho)\) が得られ、\(\sigma\) に適用すると \(\Phi(\sigma)\) が得られます。したがって、入力系 \(\mathsf{X}\) の状態を 確率 \(p\) で \(\rho\)、確率 \(1-p\) で \(\sigma\) にランダムに選んだ場合、出力状態は、確率 \(p\) で \(\Phi(\rho)\)、確率 \(1-p\) で \(\Phi(\sigma)\) となります。密度行列を用いて表せば、この出力状態は \(p\Phi(\rho) + (1-p)\Phi(\sigma)\) です。
一方で、入力状態そのものを \(p\rho + (1-p)\sigma\) という重み付き平均で表すこともできます。この見方をすると、出力状態は\(\Phi(p\rho + (1-p)\sigma)\)となります。しかし、どちらの見方をしても物理的には同じ状況を表しているので、出力状態も同じでなければなりません。したがって、
が成立しなければなりません。 密度行列 \(\rho\) 、 \(\sigma\) と実数 \(p\in [0,1]\) の任意の選び方についてこの条件を満たす写像が与えられると、その写像をすべての行列(密度行列に限らない)に対して定義された線形写像へ、一意的に拡張する方法が常に存在します。
チャネルは密度行列を密度行列へ写す#
当然ながら、チャネルは線形写像であるだけでなく、密度行列を密度行列へ写さなければなりません。チャネル \(\Phi\) が、状態が密度行列 \(\rho\) で表される入力系に適用されたとします。すると、得られる系の状態は \(\Phi(\rho)\) によって表されます。この状態を物理的な状態として解釈するためには、\(\Phi(\rho)\) が有効な密度行列でなければなりません。
しかしながら、さらに一般的な状況を考えることが極めて重要です。それは、チャネル \(\Phi\) が系 \(\mathsf{X}\) を系 \(\mathsf{Y}\) に変換する際に、何の操作も受けない追加の系 \(\mathsf{Z}\) が存在する場合です。 つまり、系の組 \((\mathsf{Z},\mathsf{X})\) がある密度行列で表される状態にあるところから出発し、\(\Phi\) を \(\mathsf{X}\) にだけ適用して \(\mathsf{X}\) を \(\mathsf{Y}\) に変換したとき、結果として得られる \((\mathsf{Z},\mathsf{Y})\) の状態もまた、密度行列によって記述されなければなりません。
入力系 \(\mathsf{X}\) と出力系 \(\mathsf{Y}\) を持つチャネル \(\Phi\) が、\((\mathsf{Z},\mathsf{X})\) の状態を \((\mathsf{Z},\mathsf{Y})\) の状態へどのように変換するのかを、数学的に表現することができます。ここで重要なのは、\(\mathsf{Z}\) には何の操作も行わないという点です。 説明を簡単にするため、\(\mathsf{Z}\) の古典状態集合が \(\{0,\ldots,m-1\}\) であると仮定します。 この仮定により、\((\mathsf{Z},\mathsf{X})\) の状態を表す任意の密度行列 \(\rho\) を、次のような形で書くことができます。
この式の右辺には、ブロック行列が現れています。これは、各要素が数ではなく行列になっている行列の行列と考えることができます。ただし、内側の括弧を取り除いて並べたものとして表されています。 その結果、全体としては通常の行列となり、中央の式で示されているように、ディラック記法を用いて表すこともできます。各行列 \(\rho_{a,b}\) の行と列は、系 \(\mathsf{X}\) の古典状態に対応しています。そして、これらの行列 \(\rho_{a,b}\) は、簡単な公式によって求めることができます。
なお、これらは一般には密度行列ではありません。これらを組み合わせて \(\rho\) を構成したときに初めて、\(\rho\) は密度行列となります。
次の式は、\(\Phi\) を \(\mathsf{X}\) に適用したときに得られる \((\mathsf{Z},\mathsf{Y})\) の状態を表しています。
この式を、与えられた \(\Phi\) と \(\rho\) に対して評価するためには、\(\Phi\) が密度行列ではない行列に対しても線形写像としてどのように作用するかを理解しておく必要があることに注意してください。というのも、各 \(\rho_{a,b}\) は一般にはそれ単独では密度行列ではないからです。 この式は、\((\operatorname{Id}_{\mathsf{Z}} \otimes \Phi)(\rho)\) という表現と一致しています。ここで、\(\operatorname{Id}_{\mathsf{Z}}\) は系 \(\mathsf{Z}\) 上の 恒等チャネル を表します。この表現では、行列から行列への線形写像に対してもテンソル積の概念を拡張していることを前提としています。この拡張自体は容易に定義できますが、このレッスンの本質的な内容ではないため、これ以上の説明は行いません。
先ほど述べたことを繰り返しますが、線形写像 \(\Phi\) が有効なチャネルであるためには、\(\mathsf{Z}\) の取り方や、系 \((\mathsf{Z},\mathsf{X})\) の任意の密度行列 \(\rho\) の選び方にかかわらず、\(\Phi\) を \(\mathsf{X}\) に適用した結果として、常に密度行列が得られなければなりません。 数学的には、写像がチャネルであるためには、トレース保存 であること、すなわちチャネルを適用して得られる行列のトレースが 1 に保たれることに加え、完全正 であること、すなわち得られる行列が正半定値となることが必要です。 これらはいずれも重要な性質であり、それぞれ独立に考察・研究することができます。しかし、このレッスンでは、これらの性質を個別に詳しく扱うことは本質的ではありません。
実際、入力として密度行列を与えたときには常に密度行列を出力する線形写像であっても、複合系に対しては密度行列を密度行列へ写さないものが存在します。そのため、このような線形写像はチャネルのクラスから除外されます。 (最も簡単な例は、行列の転置 によって定義される線形写像です。)
また、系 \(\mathsf{X}\) と \(\mathsf{Z}\) の順序を入れ替え、\(\Phi\) を右側の系ではなく左側の系に適用する場合についても、先ほどと同様の式が成り立ちます。
ここでは、\(\rho\) は \((\mathsf{Z},\mathsf{X})\) の状態ではなく、\((\mathsf{X},\mathsf{Z})\) の状態であると仮定しています。 この場合には、ブロック行列による表現はうまく機能しません。というのも、行列 \(\rho_{a,b}\) が \(\rho\) の中で連続した行や列を構成していないからです。しかし、その根底にある数学的構造は同じです。
複合系の一部分にだけ適用された場合であっても、常に密度行列を密度行列へ写すという条件を満たすすべての線形写像は、有効なチャネルを表します。 したがって、抽象的な観点から言えば、チャネルという概念は、密度行列の概念と、チャネルは線形に作用するという仮定によって定まります。 この意味で、チャネルは、量子情報の簡略化された定式化におけるユニタリー操作や、古典情報の標準的な定式化における確率的操作と類似しています。 具体的には、ユニタリー操作とは、与えられた系に対して量子状態ベクトルを常に量子状態ベクトルへ写す線形写像にほかなりません。また、確率的操作(確率行列で表される)は、確率ベクトルを常に確率ベクトルへ写す線形写像にほかなりません。
ユニタリー操作をチャネルとして表す#
\(\mathsf{X}\) をある系とし、\(U\) を \(\mathsf{X}\) 上の操作を表すユニタリ行列とします。この操作を密度行列上で表すチャネル \(\Phi\) は、\(\mathsf{X}\) の量子状態を表す任意の密度行列 \(\rho\) に対して、次のように定義されます。
このように、左から \(U\) を、右から \(U^{\dagger}\) を掛ける操作は、一般に行列 \(U\) による 共役 と呼ばれます。
この記述は、ある量子状態ベクトル \(\vert\psi\rangle\) を表す密度行列が \(\vert\psi\rangle\langle\psi\vert\) であるという事実と一致しています。 具体的には、ユニタリ操作 \(U\) を \(\vert\psi\rangle\) に適用すると、出力状態はベクトル \(U\vert\psi\rangle\) によって表されます。 したがって、この状態を表す密度行列は、次のようになります。
チャネルとして、操作 \(U\) が純粋状態に対して \( \vert\psi\rangle\langle\psi\vert \mapsto U\vert\psi\rangle\langle\psi\vert U^{\dagger}\) という作用をもつことが分かれば、線形性により、任意の密度行列 \(\rho\) に対しても、上の式 \((1)\) で与えられたとおりに作用することが結論できます。
\(U=\mathbb{I}\) としたときに得られるチャネルは、恒等チャネル \(\operatorname{Id}\) と呼ばれます。 また、このチャネルがどの系に作用するかを明示したい場合には、(すでに見た \(\operatorname{Id}_{\mathsf{Z}}\) のように)添字を付けて表すこともできます。 このチャネルの出力は常に入力と等しく、\( \operatorname{Id}(\rho)=\rho\) となります。 これは一見するとあまり興味深いチャネルではないように思えるかもしれません。しかし実際には非常に重要なチャネルであり、最初の例として取り上げるのにふさわしいものです。 ある文脈では、恒等チャネルは 完全なチャネル を表し、理想的な量子メモリや、送信者から受信者への完全でノイズのない情報伝送を表現します。
このようにユニタリー操作から定義されるチャネルは、いずれも実際に有効なチャネルです。 行列 \(U\) による共役は線形写像を与えます。また、\(\rho\) が系 \((\mathsf{Z},\mathsf{X})\) の密度行列であり、\(U\) がユニタリー行列であるならば、その結果は
と表すことができ、これもまた密度行列となります。 具体的には、この行列は正半定値でなければなりません。実際、\(\rho = M^{\dagger} M\) と書けるならば、
となります。ただし、\(K = M (\mathbb{I}_{\mathsf{Z}} \otimes U^{\dagger})\) です。 また、この行列のトレースは、トレースの巡回性により 1 でなければなりません。
チャネルの凸結合#
入力系と出力系が共通である 2 つのチャネル \(\Phi_0\) と \(\Phi_1\) があるとします。 任意の実数 \(p\in[0,1]\) に対して、確率 \(p\) で \(\Phi_0\) を、確率 \(1-p\) で \(\Phi_1\) を適用することを考えることができます。このとき、新しいチャネル \(p \Phi_0 + (1-p) \Phi_1\) が得られます。このチャネルが与えられた密度行列にどのように作用するかは、次の簡単な式で表されます。
より一般には、チャネル \(\Phi_{0},\ldots,\Phi_{m-1}\) と、確率ベクトル \((p_0,\ldots, p_{m-1})\) が与えられているとします。このとき、これらのチャネルを平均して、新しいチャネル
を得ることができます。これは チャネルの凸結合 と呼ばれ、このようにして得られるチャネルは常に有効なチャネルとなります。 これを数学的には、入力系と出力系を固定したとき、すべてのチャネルの集合は 凸集合 であると表現します。
例として、ある系に対して、いくつかの ユニタリー操作 のうちの一つを確率的に選んで適用することを考えます。 このとき得られるチャネルは、混合ユニタリーチャネル と呼ばれ、次の形で表されます。
さらに、用いられるすべてのユニタリー操作がパウリ行列(あるいはパウリ行列のテンソル積)である混合ユニタリーチャネルは、パウリチャネル と呼ばれます。パウリチャネルは、量子コンピューティングにおいて非常によく用いられるチャネルです。
量子ビットチャネルの例#
ここからは、ユニタリーではないチャネルの具体例をいくつか見ていきます。 これらの例では、入力系と出力系はいずれも単一の量子ビットです。つまり、これらはすべて 量子ビットチャネル の例です。
量子ビットのリセットチャネル#
このチャネルは非常に単純なことを行います。すなわち、量子ビットを \(\vert 0\rangle\) 状態へリセットします。 線形写像として、このチャネルは任意の量子ビットの密度行列 \(\rho\) に対して、次のように表されます。
すべての密度行列 \(\rho\) のトレースは \(1\) に等しいため、一見すると \(\operatorname{Tr}(\rho)\) を書く必要はないように思えます。しかし、このように書くことで、このチャネルが密度行列だけでなく、任意の \(2\times 2\) 行列に対しても適用できる線形写像であることが明確になります。 すでに述べたように、チャネルが複合系の一部分にだけ適用されたときに何が起こるかを記述するためには、チャネルが密度行列ではない入力に対しても線形写像としてどのように作用するかを理解しておく必要があります。
例えば、\(\mathsf{A}\) と \(\mathsf{B}\) が量子ビットであり、組 \((\mathsf{A},\mathsf{B})\) がベル状態 \(\vert \phi^+\rangle\) にあるとします。 この状態は、密度行列では次のように表されます。
ディラック記法を用いると、この状態は次のように表すこともできます。
\(\mathsf{A}\) に量子ビットのリセットチャネルを適用し、\(\mathsf{B}\) には何も行わないと、次の状態が得られます。
\(\mathsf{A}\) をリセットした結果、\(\mathsf{B}\) にも影響が及び、\(\mathsf{B}\) が完全混合状態になったと言いたくなるかもしれません。しかし、ある意味では実際にはその逆です。 \(\mathsf{A}\) をリセットする前から、\(\mathsf{B}\) の縮約状態は完全混合状態であり、\(\mathsf{A}\) をリセットしてもそのことは変わりません。
完全デコヒーレンスチャネル#
次に、\(\Delta\) と呼ばれる量子ビットチャネルの例を示します。このチャネルは、\(2\times 2\) 行列に対する作用として次のように定義されます。
言葉で言えば、\(\Delta\) は \(2\times 2\) 行列の非対角成分をすべて 0 にします。 この例は、量子ビットに限らず任意の系へ一般化することができます。すなわち、入力された密度行列に対して、すべての非対角成分を 0 にし、対角成分はそのまま保持するチャネルです。
このチャネルは 完全デコヒーレンスチャネル と呼ばれます。 これは、デコヒーレンス と呼ばれる過程の極端な例を表していると考えることができます。デコヒーレンスとは、本質的には量子重ね合わせを破壊し、それを古典的な確率状態へと変えてしまう現象です。
このチャネルは、量子ビットに対する標準基底測定を表すものと考えることもできます。 すなわち、入力された量子ビットを測定してその量子ビット自体は破棄し、その代わりに測定結果を表す密度行列を出力すると考えることができます。 あるいは、これと等価な見方として、測定結果を破棄し、その結果として量子ビットを測定後の状態のまま残すと考えることもできます。
ここでも再び e-bit を考え、その 2 つの量子ビットのうち一方にだけ \(\Delta\) を適用するとどうなるかを見てみましょう。 具体的には、量子ビット \(\mathsf{A}\) と \(\mathsf{B}\) があり、\((\mathsf{A},\mathsf{B})\) は状態 \(\vert\phi^+\rangle\) にあるとします。 今回は、このチャネルを 2 番目の量子ビットに適用します。 その結果得られる状態は次のとおりです。
この式は、ブロック行列を用いて次のように表すこともできます。
また、量子ビットを完全にデコヒーレンスさせるのではなく、わずかにデコヒーレンスさせる量子ビットチャネルを考えることもできます。これは、完全デコヒーレンスチャネルが表すものよりも穏やかなデコヒーレンスのモデルです。 具体的には、\(\varepsilon \in (0,1)\) を小さい正の実数とします。 このとき、次のチャネル
を定義することができます。 このチャネルは、任意の量子ビットの密度行列 \(\rho\) を次のように変換します。
つまり、確率 \(1-\varepsilon\) では何も起こらず、確率 \(\varepsilon\) で量子ビットがデコヒーレンスします。 行列で表すと、この作用は次のようになります。対角成分はそのまま保たれ、非対角成分は \(1-\varepsilon\) 倍されます。
完全脱分極チャネル#
もう一つの量子ビットチャネルの例として、\(\Omega\) と呼ばれるチャネルがあります。
ここで、\(\mathbb{I}\) は \(2\times 2\) の単位行列を表します。 言葉で言えば、任意の密度行列 \(\rho\) を入力すると、チャネル \(\Omega\) は完全混合状態を出力します。 これ以上ノイズの大きいチャネルはありません! このチャネルは 完全脱分極チャネル と呼ばれます。また、完全デコヒーレンスチャネルと同様に、このチャネルも量子ビットに限らず任意の系へ一般化することができます。
また、デコヒーレンスチャネルの場合と同様に、確率 \(\varepsilon\) で脱分極が起こる、より穏やかな形のチャネルを考えることもできます。